北アイルランド紛争

さて、先日イギリスのブレグジットについて執筆しましたが、その中で問題になっていたアイルランド。イギリスとアイルランドは過去にとても大きな問題がありました。それが北アイルランド紛争というものです。
アイルランドはもともと一つの独立国家
混乱を避けるため、ここでは北アイルランドを「北アイルランド」
残りの南部分を「アイルランド共和国」と表現して解説をしていきます。
アイルランド共和国は現在はイギリス領である「北アイルランド」とアイルランド共和国に別れていますが、元々は一つの国家でした。長い長い歴史を遡ると、西暦1180年頃からイギリスの侵略を受けます。

最初に現在の北アイルランドに相当する部分がイギリスの占領地域となりました。そしてそれから数百年後の1600年頃、イギリスは再びアイルランド共和国へ侵攻し、アイルランド全土を植民地化しました。
その後様々な闘争はあるのですが、さらに時を経て西暦1800年頃にアイルランド全土は正式にイギリスとなります。植民地ではなく、正式にイギリスとして組み込まれる事になったのです。
アイルランドの独立
イギリスとなったアイルランドですが、最初に植民地となった北アイルランドと、アイルランド共和国では決定的な違いが出ていました。
北アイルランドは先にイギリス植民地だった事もあり、イギリスからの移住者も多くいました。
そのため、宗教思想もイギリス寄りのものとなっていました。
イギリス:プロテスタント
北アイルランド:プロテスタント
アイルランド共和国:カトリック
この宗教的問題はとても大きく今後の問題に作用します。
そして、1920年頃にアイルランド共和国とイギリスの間でアイルランド独立戦争が起きます。
アイルランド全土は一つであるべきであるという考えから、アイルランド全土の統一・独立を狙った戦争でした。
しかし、事態は意外な方向へ行きます。




という事になりました。前述したように、北アイルランドとしては、イギリス統治時代が長かった事もあり、プロテスタント系信者が多く存在しました。
もし、アイルランド統一となれば、プロテスタント系は少数派となり、アイルランド内での立場も弱くなる事を懸念していたのです。
また、経済的にもイギリスに居た方が有利だと考えての結果でした。
宗教ってのは同じ宗教でも宗派があるからまた厄介ですよね。
キリスト教ならキリスト教でまとまればいいのに・・なんて甘い考えは無駄です。
そういうものです。
独立戦争から1年後。
イギリスはアイルランドを分割してイギリス領でありながら、それぞれで独自の自治を行なっていく事を認めました。
厳密には違いますが、いうなれば今の中国と香港みたいなものですね。
イギリスが独自の自治を認めてから翌日の事です。



となったのです。
一方、アイルランド共和国は1949年に完全な独立を果たしました。
以上が、大まかなアイルランドの分裂・独立・編入の歴史となります。
北アイルランドの悲劇
イギリスに留まる事となった北アイルランドですが、円満に全てが解決したわけではありませんでした。プロテスタント信者が多い地域だと前述しましたが、もちろん少数派としてカトリックも存在します。
北アイルランドではプロテスタントが強く、カトリックが弱い立場に居たのです。

カトリックは差別被害や、政治的な弾圧を受けたりと迫害とも言える状況にいました。
そして、カトリック信者たちは立ち上がります。
自分たちの権利を守るため、デモ行動を行い、時にはプロテスタント系とカトリック系の住民同士での衝突も発生しました。
さらにカトリック住民と現地警察の間でも大規模な暴動が発生。
カトリック系住民を中心に結成された「IRA」という武装組織も誕生。
IRAの目的は北アイルランドとアイルランド共和国の統一です。そして、IRAは武力によるテロ行為を各地で行なっていきます。
事態を重く見たイギリス政府は北アイルランドに軍隊を派遣し、現地警察に代わり、事態の鎮圧を試みます。カトリック系住民としては、横暴な現地警察よりもイギリス軍の事を信用しており、イギリス軍の派遣を歓迎していました。
しかし、結局は宗教対立なのか、軍(プロテスタント寄り)とカトリック系信者の友好的な関係はそうもうまくいかず・・。
1972年に「血の日曜日事件」「血の金曜日事件」という大きな事件が発生します。
血の日曜日事件
デモ行進中のカトリック系住民に対して、イギリス軍が発砲を行い14名が死亡、13名が負傷した事件。
血の金曜日事件
アイルランドの統一を目指した「IRA」による、北アイルランドのいたるところで爆弾テロが行われた事件。80分間に20発の爆弾が炸裂し、死亡者9名、負傷者130名を出した大規模なテロ攻撃を行いました。
その時の紛争状況は以下の通りです。

一連のテロ活動や暴動も含めて死者は3,000名を超えます。
イギリス政府は「北アイルランド政府に解決能力は無し」として、北アイルランド政府を廃止。
1972年にイギリス政府による直接統治に切り替えました。
IRAなどの武装組織との対決姿勢をイギリス政府は明確にし、戦闘は続いていきます。
終結か停滞か
双方とも終わりが見えない戦いになっていくのですが、イギリスと北アイルランド、アイルランド共和国は協力してこの不毛な戦いを終結させるため、1998年に「ベルファスト合意」という和平協定を結びます。
ベルファスト合意では南北分断により発生している深刻なテロ活動・暴動を沈静化するために、南北評議会というものが設立されました。
北アイルランド、アイルランド共和国の両国の議会代表が北アイルランド政府に参加するというものです。
アイルランド共和国側からはアイルランドの統一を推進する政党も参加しており、よりフェアで公平な自治ができるであろうというものです。
つまり、イギリス残留派と統一派の両方の人間が政府に参加するという事です。
また、この合意によって、アイルランド共和国は北アイルランドの領有権を放棄するという、とても重要な合意内容になっています。
この合意によって、IRAの活動も大幅に沈静化。
だがしかしっ!
この議会運営、結局うまくいっていません。
イギリス残留派と統一派の意見がまとまらず2002年くらいから北アイルランドは実質的な無政府状態なのです。
なので、今の所イギリス政府が北アイルランドをまとめている状態となっています。
今は、イギリスのEU離脱(ブレグジット)でこのアイルランド問題が焦点となっていますが、現在イギリスもアイルランドもEU加盟国であり、それは北アイルランドとアイルランドの国境が無くなっていたとも言える状態です。
そのおかげで、この問題もより沈静化していたのですが、イギリスがEUを離脱するとなると、またまた北アイルランドとアイルランド共和国は分断される事になり、テロ活動や住民同士の暴力行為が激化する事が懸念されているのです。
以上が過去の歴史と現在のアイルランド情勢となります。
おまけ
記事中に書いた血の日曜日事件ですが、アイルランドのロックバンド「U2」もこの事件に対しての曲「Bloody Sunday」を書いています。
戦いへの怒り、平和を願う歌詞内容となっており、歌詞の中でも
「We can be as one, tonight(今夜僕たちは1つになる)」と訴えています。
個人的に好きな曲だったのですが、恥ずかしながらこの歌詞の内容を理解していませんでした。この事件を歌った曲だという事は知っていたのですが、今回改めて歌詞の内容も見てみて、U2すげえなぁ・・と感服したボスでした。
ちなみにこの曲を発表したせいなのか、U2のボーカルであるボノは、IRAに狙われたとかなんとか・・という噂まであります。