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繰り返されるクーデター。ミャンマーはどんな国?

東南アジアに位置する国「ミャンマー」
2021年2月1日にミャンマー軍によって現政権の転覆、いわゆるクーデターが行われました。
日本で言えば、自衛隊が政府を制圧し、政権を奪取した・・みたいなものです。

なぜそんな事が起きたのか?
ミャンマーとはどういった国なのかを分かりやすく解説します。

ミャンマーについて

ミャンマーは東南アジアに位置する国です。中国・ラオス・タイなどが隣国となっており、旧国名は「ビルマ」となっています。

ミャンマーは東南アジアに位置する

繰り返されたクーデター

ミャンマーは現在進行形で政治的に変革がおきている国です。
過去の変化から現在の状況を紐解いていきます。

イギリスとの戦争に敗北
イギリスの3度の進行により完全に占領されたビルマ

1824年 第一次ビルマ戦争
ビルマ(旧国名)とイギリスは互いに領土拡大を目的として戦争に突入します。
ビルマは敗北し、自国の一部をイギリスに占領されます。

1852年 第二次ビルマ戦争
イギリスはビルマへ再び侵攻し、さらにビルマの半分を占領。イギリスは東アジアへの勢力を猛拡大していました。

1885年 第三次ビルマ戦争
イギリスがビルマの完全支配を目指し、3度目のビルマ侵攻を行う。
ビルマは完全降伏し、イギリスが占領していたインドに組み込まれました。

イギリスからの独立

イギリスの統治を嫌ったビルマ人の「アウンサン」という人物がいました。
彼は今で言う活動家であり、イギリスからの支配に対抗する活動を行っていたのですが、力がなかった彼は追われる身となり日本へ逃げ込みます。

日本はビルマを東アジア侵攻作戦の重要な位置とも考えており、アウンサンへビルマ独立への支援をする事を約束しました。
つまり、日本がビルマ独立を支援する代わりに日本軍をビルマに配置して侵攻の重要拠点にするというものです。

これによってアウンサンはいったんビルマに戻り、反政府組織を結成し、日本軍の元へ戻り、日本軍による過酷な軍事訓練を受けます。

そして、太平洋戦争が始まった1941年12月に、アウンサンらは故郷ビルマにてイギリス軍へ攻撃。
この時日本軍も攻撃へ参加しており、いわば「共闘」という形で、戦闘を行っていきました。

結果、にアウンサン・日本軍の勝利となり、イギリス軍を撤退させる事に成功。
ビルマはイギリスからの支配を抜け出しました。

日本への不満とイギリスへの寝返り

独立を果たしたビルマですが、完全な独立とはなりませんでした。
そこには日本の影響が大きく反映されており、軍事・経済ともに日本の支配下に入ったようなものです。
独立から数年たった頃、将軍であったアウンサンは日本に対して懐疑的になります。

日本 日本
ほれほれ、ビルマ人よ。もっと働きなさい。日本軍の重要拠点なんだからね。君らの軍も使わせてもらうよ。
アウンサン アウンサン
なんかこれおかしいやんけ。独立してないやんけ。しかもあいつら第二次世界大戦でも負けそうだし。
このまま日本と仲良くしててもいいことなさそうだな・・。
しかも今の政府無能だし、日本の言いなりじゃないか。そうだ!今のうちにイギリスに相談しよう!
アウンサン アウンサン
あ、イギリスさん?
あのさ、俺ら独立したけどやっぱ日本とはやっていけないんだよね。日本軍を倒すためにちょっと手伝ってくれないかな。

なんと、アウンサンは敵対していたイギリスに助けを求めたのです。

そして、1945年にアウンサンらは日本軍やビルマ政府に対して武力攻撃を行います。
つまり、軍部によるクーデターですね。
もちろんイギリス軍も攻撃に参加し、日本軍は敗北。
ビルマは再びイギリス領となりました。

イギリス領となった後、アウンサンらは再びビルマの独立をイギリスに交渉し、1948年にビルマ連邦として独立を果たします。

しかし、そこに悲劇が!
その独立の1年前、アウンサンは敵対する党員の傭兵により暗殺されており、独立を確認する事は叶いませんでした。

不安定な情勢

独立後、ビルマはとても不安定な状態が続きます。

1960年
ビルマ連邦として完全な独立を果たしたものの、政治情勢は不安定で、内乱が絶えず、国内情勢は二分される状態となっていました。
そんな不安定な情勢の中、総選挙が間近となります。
当時のトップは選挙への対策として、ビルマを独立へ導いたアウンサンが率いた軍のトップ「ネウィン将軍」と組み、占拠に勝利します。

1962年
しかし、相変わらずな政府の力不足を感じたネウィン将軍は、現政権への不満が溜まっていき、政府へ対してクーデターを起こしてネウィン将軍は大統領となります。またもや軍部クーデターです。
ここからビルマは大きな変化を迎えます。
社会主義に寄った政策がとられ「ビルマ型社会主義」と言われました。

どういったものかと言うと、

・政党はネウィンが主導する「ビルマ社会主義計画党」しか認めない一党独裁。
・大小様々な企業・事業の国有化。
・仏教を社会主義の根幹として、他の宗教信者を追い出した。
・政府による農産物の強制買取。
・外国資本の排除、外国人の入国拒否(事実上の鎖国)
・ビジネスは国民個人よりも軍人に任せる。

などがありました。

1981年
ビルマ型社会主義は軍部の力を増大させすぎたため、国の運営はうまくいかず、経済はガタガタに。
絶えない内乱、経済悪化のため、ネウィンが大統領を辞任しますが、その後も軍部による独裁政治は続きます。

民主化運動のはじまり

1988年に国民の間から不満が続出し、ついに民主化を求める運動が始まりました。
その運動の先頭にたったのが「アウンサン・スーチー」です。

アウンサン・・

そう、前述したビルマを独立に導いた「アウンサン将軍」の娘です。

運動は大規模になり、事態は混沌とします。
そこへ軍部です。

政府に軍部がまたまたクーデターを起こして、政権を掌握。
民主化を求める国民に対して、国民による総選挙を約束します。

しかし・・

軍部
民主化を望む?おーけーおーけー!じゃあ選挙で決めよう!フェアでいいよね!政党も複数作ってOKってことにするよ
国民
うぉー!一党独裁体勢を崩すぞー!みんながんばろう!
軍部
おらぁ!なめんじゃねえ!運動は認めない!射殺だゴルァ!

もうむちゃくちゃです

総選挙で決めると言っておきながら、国民優勢になりうるデモ活動などは弾圧する。

それでも、スーチー氏は負けずに、国民民主連盟という政党を立ち上げ、選挙に挑みます。

し か し !!

影響力を持ったスーチー氏にトップに立たれては危ういと感じたのでしょうか。
軍部は選挙前にスーチー氏を自宅軟禁します。(この後もスーチー氏は軟禁と開放を繰り返し受けます。)

スーチー氏は軟禁状態のまま、総選挙は実施。
結果としてスーチー氏が率いた国民民主連盟が圧勝します。

し か し !!

軍部
あーあ、負けちゃったわ。でも国の安全を第一に考えて政権は渡さないよ?新しい憲法もまだ制定してないからすぐには無理だよ?

一体、何の為の選挙だったのかw

これには国際社会からの批判がでました。

ただ、ここから紆余曲折あり、2008年5月に新憲法案が国民投票により可決され、民主化の道が開けます。
ちなみに1989年に国名はミャンマー(正確にはミャンマー連邦)となりました。

新政権はスーチー政権?

2011年には本格的に民主化を進める為、政権移行がされ、2015年にはスーチー氏率いる国民民主連盟が選挙で勝利し政権を握ります。
ただ、新大統領はスーチー氏かと言えば、そうではありませんでした。

なんと、憲法にはスーチー氏が大統領になることを禁じるという事が記載されていたのです。

しかし、スーチー氏はこう言います。

スーチー
大統領にはならないよ。でも人事は全て私が決める。大統領にならなけりゃいいんでしょ。

と、別の人間を大統領に選出し、スーチー氏は外務大臣や大統領府大臣などにつきます。
その後は国家顧問となります。
本来、国家顧問というのは大統領や政府に対して、助言を行ったりするのが役目ですが、今回の場合は「指示」であることから事実上のスーチー政権となりました。

民主化はさらに押し進められる事となり、スーチー氏はミャンマーにおける民主化の女神とさえ言われましたが、色々と問題も報道されています。

前述した、憲法に明記されている大統領にはなれないというものですが、これは事実上のスーチー氏が大統領になっているようなものであり、憲法違反にはならないのか?という事や、ミャンマー国内で軍部によって行われたイスラム教徒少数民族の虐殺事件がありました。

民族はスーチー政権に助けを求めましたが、スーチー政権は民族の訴えを認めず世界から非難が起こりました。

このように、これは強権政治ではないのか?という非難が発生している事も事実です。

2021 クーデター ←NEW

2020年11月に総選挙が開催されたのですが、スーチー氏率いる国民民主連盟が8割の票を得てまたもや圧勝。
これに対し、軍部系の政党は「不正選挙だ!」と反発します。

そして2021年2月。
ミャンマー軍がクーデターを起こし、スーチー氏を拘束(軟禁)。拘束理由は、スーチー氏が無線機を違法に輸入し許可無く使っていた。というものです。

なんという無理やりな理由でしょうか・・。

他の政権幹部も次々と拘束され、軍部が政権を掌握しました。
軍部は1年間の非常事態宣言を発令し、宣言解除後に「自由で公正な、複数の政党による総選挙を実施する」としています。

スーチー氏は1980年代の民主化運動の頃から合計で「14年以上」も拘束・軟禁されていました。今回の拘束がどれくらいの期間になるかはまだ定かではありませんが、長ければ非常事態宣言解除後、または総選挙後の開放となる可能性もあります。

さらにミャンマー軍は情報統制を敷き、ミャンマーの首都ネピドーの電話・インターネットを遮断するなど、国民・国際社会との切り離しを行っています。

クーデターに対してミャンマー国民は連日数万人規模のデモを行っており、これを抑え込みたい軍部は夜間外出禁止令や5人以上の集会の禁止を言い渡しています。つまり、集まるな、デモを行うな。ということですね。

近づいていた民主化が後退してしまいました。

これに対して各国は懸念を示しており、アメリカは経済制裁も視野に検討をしています。

一方、隣国である中国は、この件については非難声明は出しておりません。
もしアメリカが手出しをしてきたら、中国にとってはアメリカを批判する材料となることでしょう。

スーチー氏写真引用元:Global Media Sharing

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執筆者:ボス
FXバイボーのボス。FX会社で勤めていた経験もあり、FXに正通している。普段もFXトレードを行っており、プラス収支を叩き出しているが、バーチャル取引では500万円を1億円以上に増やした実績も持つ。